今日は祝日開館日だった。祝日も開館するようになってもう一年経ったが、知られていないのか来館者は余り多くない。途中から雨も降ってきたので尚更だった。
午後、クレームのメールを出した利用者と館長が電話で話をした。メールの文面は随分おそろしげな内容で、担当の人も不安そうだった。館長が実際に話をしてみるとそれほど問題のある利用者ではなかったそうで、むしろ冷静に話ができ、誤解も解けて一件落着となった。
夕方5時の閉館時、隅っこの席に座ったままの利用者がいたので主任が声をかけるとゴローンと横になり、足が痛くて動けないと言う。すぐ近くに病院があるが、今日は祝日のため休みだった。館長もいろいろ話をするがしょうがないので救急車を呼ぶことになった。
何度か電話のやり取りがあった後、救急車はすぐに到着した。救急隊員3人が担架を持って館内に入って来て、利用者に今の状態や症状、病歴等について詳しく質問をし始めた。僕や他の何人かは棚の陰からそのやり取りを見守っていた。本人によると「慢性的な足の痛みがある」ということだった。
近隣の病院をいくつか挙げ、これから受け入れ出来るかどうか聞いてみると隊員が言うと、男はそこには行けないと言う。その病院とは診察時に揉めたことがあるらしかった。他に挙げる所も軒並みだめなので、隊員は困った様子で「そんなこと言ってたら、この辺じゃどこも行く所がなくなってしまうよ」と言った。
その内につい最近まで入院していたことが判ったが、隊員が「もしかして強制退院か」と尋ねると男は「いや、症状も大分良くなったし、・・・でもそうも言えるかもしれない」と答えた。
結局その場では搬送先が決まらないまま、男は担架に乗せられ救急車へと運ばれた。館長と僕は男の荷物三つを手分けして持ち、傘をさして救急車まで持って行った。男は隊員の質問に割合はっきりした声で受け答えしていたし、朝、駅から歩いて15分ほどの図書館まで来て、館内にいる間も中を歩いていたのだから、隊員とのやり取りを見ていてもまともな病人とは思えなかった。
戸締りを済ませて外に出ると、救急車はまだ外に停まっていた。
月: 2008年11月
今日は約一ヶ月ぶりに合唱の練習に参加した。今日も大勢人が集まっていた。11月3日の個人練以来楽譜を開くこともなく、練習の開始時間にも遅れ、中だるみの練習日となった。
最初の一時間は全く調子が出なかったが、休憩時間に自販機のパンを食ったらちょっと声が出るようになった。曼珠沙華のリズムがいまだに危うい。先生からお土産に段ボール箱いっぱいのみかんをいただき、皆で分けた。
練習後はおしどりへ行き、まだ日の暮れない内から酒を飲み、飯を食った。その後流れでカラオケに行ったが、特別なカラオケだったので皆大変そうだった。終わりにシャノへ行って久々にビッグパフェのブルーベリー(コーン少な目、520円)を食べた。ビッグパフェは容器から出ている部分が一番うまい。もう定演まで一ヶ月ほどしかないが、先輩と、また時間が作れたら個人練をやろうと話した。帰りは11時過ぎでジャケットではさすがに寒かった。
今日はザ・フーの日本最終公演だった。寒い中自転車に乗って九段下に向かった。長くかかるかと心配だったが、40分くらいで着いた。
最高の最終日だった。席も一階スタンドの三列目通路側でよかった。前の席の中年のおじさんが、最初は控え目に聴いていたのが、曲が進むにつれて控え目なままではありながらも拍手や手拍子をしたり、こぶしを突き上げたりする姿が印象的だった。斜め前の最前列で初っ端から踊り狂う数名がいるなあと愉快に思いながら、終わり頃に見るとこちらもおじさんだった。このおっさんはWon’t Get Fooled Again でギターのピートが腕を振り上げるのに合わせて自分も腕を振り回していて羨ましかったが、僕には出来なかった。僕は叫ぶくらいだった。今日もNaked Eye を本編の最後にやった。昨日とは打って変わってすさまじい演奏だった。
ステージでピートとロジャーは、今日の公演や日本や日本の観衆を”fantastic”と言っていた。それがとても嬉しかった。今はもう決して現役の聴き手・ファンではないと自覚していたが、今回迷うことなく見に行ってよかった。
晩飯の食材にキャベツ、玉ネギ、豚肉、トマト、卵、スライスチーズを使った。仕上げに、ずっと前に買ったまま使うことがなく、冷蔵庫の中でだんだんしおれてきたように見えたパセリを適当に切ってのせた。
最初に挙げた三つの食材はいつも使う普通のものだが、今日やったようなトマト入り炒めは最近たまに作る。トマトはそのまま切ってマヨネーズで食べることもある。変な組み合わせだが案外うまい。ただ、自分で作るものは全てそうだが、人に勧められるかは疑問である。自分で作った食事の味には疑問を感じることがないのだ。
今日作って失敗したと思ったのは、チーズだ。とろけるチーズだと思っていたのに、買っていたのはそういうチーズではなかった。でもうまかった。しかしうまいのは調味料の所為だという気もした。
今日は昼の二時頃起きてパンを食べ、洗濯をしたり年末調整の書類を書いたりした。それから卵かけご飯を食べた。
6時頃、一度着たシャツを脱いで別のに着替えたり、外に出て書類を忘れて取りに戻り、出たときに履いていたのと別の靴に履き替えたり、落ち着かない心持ちで九段下に向かった。途中、飯田橋で有楽町線から東西線に乗り換えた。改札間の距離が長かった。
九段下に着き、地上に出ると大勢の人が武道館に向かって進んでいた。前を歩く会社員風のスーツ姿の若い男二人が、The Who のグッズを並べた露店を見て「パチモンだろ」と意に介さない様子で話していた。
武道館に来るのは今日で4度目だ。座席は今回もスタンドの上の方だった。アリーナ席は開演前から大盛り上がりだった。そしてフーのメンバーが出てきて演奏が始まった。今回の来日公演を見ていて、今のフーは禿頭のメンバーが多いと思った。ライブは6人でやっているのだが、半分の3人がお坊さんみたいで別の一人は禿げかけだ。中高年のバンドだからそれが自然なことなのかもしれない。
ライブの終盤、Won’t Get Fooled Again が原曲どおりの締めで終わり、続いてMy Generation が始まった。後半の長いアドリブがもうそろそろ終わりか、と思ったら、ギターのピート・タウンゼントが聞き覚えのあるフレーズを弾き始めた。Naked Eye だ。
東京に来てまだ間もない頃、テレビで1970年にイギリスのワイト島で行われたフェスティバルの映画を見た。この映画でザ・フーやたくさんのシンガーやいろんなバンドを知った。映画の最後に使われたのがこの曲だった。まさか今回の来日公演で演奏されるとは思っていなかったし、映画に使われていてフーに入れ込むきっかけとなった曲の一つだっただけに嬉しかった。昨夜は風呂上りにギターで弾いたりもした。
そうして本編はこの曲で静かに終わった。胸いっぱいになって満足してしまい、アンコールのトミーメドレーや最後、ギターと歌の二人だけによる最新アルバムからのTea & Theatre が身を入れて聴けなかった。
終演後、引き上げていく人の波に加わるのを避け、しばらく動かないでいた。片付けに入ったステージに目をやると、フーのスタッフらしい人物がドラムのスティックをステージ前に集まっている人の山に向かって投げた。それを追って捕らえる為にすべって人が倒れこんだりしていた。
帰り、飯田橋で乗り換えるときに”The Who” と書かれた物販のトートバッグをさげた人を見かけた。そうしてみんな家路につくのだ。僕も家に帰った。野菜炒めを作って食べた。
昨夜ちょっと寝るつもりで8時頃布団にくるまった。目覚ましを止めて寝続け、夜中の3時頃友人からのメールが届いて目が覚め、しばらくしてまた眠った。その後も何度か目覚めかけたが、結局布団から出たのは昼の12時過ぎだった。
寝る前にパンを3つ食べたきりだったのでモヤシと玉ネギと豚肉を炒めて食べた。そして美容院へ行った。電車の雑誌の吊り広告に出ている小室の記事が気になったが、真新しい事は書いていないようにも思えた。
美容院の人に、こっているのか何なのか分からないが、左肩の背中側が右より盛り上がっていると教えられた。髪は伸びてくると切りに行くのも面倒になってくるが、切ってもらうとスッキリする。
帰りに新宿に寄って、長い間傷んだまま放置していた靴を修理に出した。ずっと電池切れだった腕時計の電池も交換してもらった。時計が仕上がり、一つ着けようとしたが、久し振り過ぎて留め金の開き方を覚えていない程だった。それから靴を買った。自分は服のサイズだけでなく、靴も小さいのが丁度いいということが判った。
その後池袋でパルコに行くと、レオがVサインで万歳をしていたので西武が優勝したことを知った。平日とは思えない盛況振りだった。その中で先輩にばったり会った。
帰宅してパンを二つ食べ、豚肉の卵とじを作って食べた。
今朝もまた急いで飛び出し、小雨の中自転車を走らせた。異音に気付くとまたチェーンが外れて走れなくなった。だが今回はなかなか直せない。チェーンがシャフト側に挟まって取れなくなり、かなり時間を喰ったので、こりゃだめだと今朝はあきらめた。
ようやく元通りになって走り出し、到着してみると遅れたのは3分だけだった。時間がかかるのに気付いた時点で自転車を置いて自分の足で走っていても、もしかしたら間に合ったかもしれなかった。意気消沈していたが主任の情けにより遅刻はなしになったのでよかった。昼飯はやよい軒で和風ハンバーグ定食を食べた。今日は天気が悪かったので土曜にしては一日静かだったが、夕方からはさすがに人出が増した。
夜、妹が池袋に来ることになったので、到着するまで時間をつぶすことにした。が買い物は昨日したので回る気にならず、東急ハンズに行って靴の中敷きを買った。その後ジュンク堂に行き、最上階で椅子に座り、コックリコックリしながら本を読んだ。
合流し、パルコをぶらぶらして晩飯に行った。沖縄タコライスというかぐらにあったようなのを食った。そして依頼されていた『家族になったスズメのチュン』という本を渡した。他にもいろいろ適当に食べ、次にとんちんというラーメン屋に行って小室や菅野よう子の話などしながらラーメンを食った。店に入ってしばらく並んだが、出たときはもっと行列が伸びていた。
帰りの時間が遅かったので、いつもはたくさんある路上放置の自転車の数がとても少なかった。
今日は天気予報が雨のち曇りになっていたので、折りたたみ傘を持って出かけた。図書館では傘袋を出したりしたが、昼近くになると雲間から青空がのぞいて見え出した。
11時から昼休憩になり、弁当がないので食べに出た。またいつもの店に行ってメンチカツを食べたが、いい加減同じものを食べ過ぎだ。店内の有線で、放送を自粛するとニュースに出ていた小室作品の、内田有紀のOnly You が流れていた。帰りにスーパーに寄って飲み物とシュークリームを買った。雨雲が去った後の昼前の空は気持ちよく、ちょっと時間があったのでブラブラと寄り道してもいいくらいだったが、真っ直ぐ戻ってしまった。午後はいつもの金曜日で、何となく穏やかに過ぎた。
5時過ぎにあがり、隣の区の図書館へ行った。近くの広場では今日もサッカーをやっていた。雑誌を4冊借りた。それからジーンズを買いに行った。ジーンズは生活必需品感覚で買うので、選り好みせずに済んで楽だ。別の所で靴も見たが、服装に合わなかったのでまた今度試すことにした。パルコの前で学生風の眼鏡青年が光る円盤を持って立っているので何だろうと目をやると、ポータブルプレイヤーのCDを交換していたのだった。そんな姿を見て「僕と同じやつがおる」と思った。
帰宅してせんべいやチョコレートを少し食べ、米を炊いた。久々に人参を使った野菜炒めを作り、昨夜に引き続き中谷美紀のアルバムを聴きながら晩飯を食った。いばらの冠はやっぱりいい曲だ。これと砂の果実は演奏の主体が生楽器ということもあり、アルバムの中で特に際立ってきこえる。昨日聴き返したglobe のlove again はやっぱり暗いアルバムだった。
歌を聴き、飯を食いながら借りてきた雑誌を開いた。いつもは適当に読み流すだけだが、同県出身のポルノグラフィティ他面白い記事がいくつかあったので、ちょっと熱心に読んだ。
そうしているうちに「何で小室、逮捕なんかされるんや」という答えの出ない悶々とした感情が拭われていった。小室のことは彼がやっていたグループのキーボード奏者として知ったのが最初で、15の頃には、自分でも弾いてみようと小さい頃習ったがろくに身につかなかったピアノに再び触れるようになった。彼の選んだアルバムリストを元に洋楽ロックのアルバムを聴いたりもした。10代の終わり頃には関心が薄れ、今となっては元ファンだが、影響を受けていることはどうしたって事実で、それだけに今回の事件はごく個人的な感覚の範囲内で受け止めただけだが、思ったよりも応えた。事件のことは今後もっと詳しいことが判ればいいと思う。
今日は母校の文化祭へ行き、ひとしきり食べ物を食ってから歌の練習をした。外でじっとしたままの練習だったので段々寒くなり、暗くなる前に切り上げた。途中、4年生が店から出てきて一緒に歌ったりしてくれて嬉しかった。イカ焼きやウインナーをたくさん食べた。
以前は出店していた九州の村の物産品販売がなかったのが残念だった。合唱団の店にOBOGは余り来なかったみたいだが、楽しそうにやっていてよかった。今年も剣道部のうどんを食った。
練習の後もいろいろ食べ、ちょっと一回りしてから学校を出、二人の先輩を見送ってから墨田区の先輩と土浦とトキへ行った。まだ6時にもなっていなかった。二人はホワイトソース生卵付きを注文したが、僕は腹一杯だったのでレモンスカッシュだけ頼んだ。土浦によると、卵をかけたことでホワイトソースが食べ易くなるということはなく、むしろその逆だということだった。
大分待ってから、金曜に会った新婚君が来てホワイトソースを食べた。その後、750円のサラダや150円増しで量は2倍というジャンボスカッシュのグレープを注文した。スカッシュはシュワシュワするがファンタそのものだったらしい。炎君から電話があった。新潟から今日戻ってきて、疲れている様子だった。
帰宅して飯を作るのが面倒になったので、8時過ぎに元カルビ現焼肉定食を食べた。9時前に解散した。駅前は学生たちで埋め尽くされていた。