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真夏の夜の激闘

 昼から出掛けて明るいうちに帰宅した。帰り道の電車で、晩飯を何にしようか考えていた。普段の晩飯は休日に作りだめして冷凍しているおかずだが、毎日それだけだと飽きるので、休日に時間がある時は作ることがある。たまたま検索してヒットしたキッコーマンのレシピサイトを見て、夏の野菜を使った肉野菜炒めが良さそうだと思い、スーパーでナスとピーマンと玉ねぎを買った。ほかに加えるトマトは家の冷蔵庫にある。最近は作る時のパターンが豚肉+もやし+ニラで固定化していたので、たまには他の野菜を試すのも良いものだ。いつもみたいに塩やコショウやら調味料をやたらとふりかけることはせず、かと言って控えめでもなかったが、自分一人で食べる分には何の不足もない食べられる味になった。
 翌日の月曜日は予定もないのに休みにしたので気楽なもので、食べ終わって食器を流しに下げた。洗い物は面倒なのでいつもだったらそのままにするが、明日も休みだからか何となく洗う気になり、台所に立って食器やフライパンをざっと洗い、最後に水で流すという段階が近付いたとき、目の前で何か動く気配を感じたのか、今となってはよく思い出せない。うちの台所はとても小さい。これまで四半世紀以上に渡り単身者向けマンションを渡り歩いてきた中で、部屋自体はゆとりがあるのだが、台所はこれまで暮らした部屋の中で最も狭い。左側のシンクはまな板1枚分くらい、右側に位置するIHコンロは1基のみ。引越してきたときはこんな狭い台所で料理が出来るだろうかと不安になったが、何とかするしかないと思ってそれから何とかしてきた。何か置くのに足りない時は背中側に置いている洗濯機のフチのスペースを活用している。コンロの真上に換気扇が付いていて、シンクの上には3段の小さい棚があり、こまごましたものをゴチャゴチャと置いている。一番下の段には箸とか味噌汁用のワカメパックのストックとか、塩・コショウを入れたお菓子の空容器を並べている。コショウはギャバンの空になったやつが4本並んでいて、最近新しいのを買った。目の前の、そのギャバン缶の上を黒いGが歩いている。その姿を認めて、夜10時近くだったが、僕は大きな声で「うわあ」と叫んだ。驚いた。目の前に、自分の目線の20㎝から30㎝くらいの直ぐ先にいるのだ。それも小さいやつじゃない。僕は心の底から、心のままに「うわあ」と叫んだ。それ以外に言葉が出なかった。そして、こいつは何とかせんといかん、この台所の状況だとどこかに潜り込まれると何とも出来ない、今この場で何とかしないと、と思った。台所の上にはいろいろなものがゴチャゴチャと置いてある。流しの下には扉の中に食器をたくさん置いている。そんな所に入られると厄介極まりない。Gは4本のギャバンの上から直ぐに移動しない。振り返り振り返りして決して姿を見失うことのないよう様子を注視しながら、洗いかけの食器を容れ物にまとめて、まな板やら色々を洗面台の方に移した。それから台所の上にある養命酒やらごま油やらいろいろをすべて風呂場の前に移した。移すと言っても1mくらいだけ離れたところだ。
 そうして台所の台の上からものを全て移動させた。それから、玄関の戸棚からゴキブリホイホイを取り出し、焦りながら二つ組み立てた。古新聞を1日分取り出したが薄かったためもう1日分追加し、重ねて丸めてガムテープで3か所を巻いて固定し、こん棒を作った。うちには殺虫剤はない。今から考えると噴射式の洗剤とかでも効果があったかも知れないが、ごちゃごちゃと物を置いているところに吹きかけることが出来ただろうか。とにかくうちにあるG退治の道具はそれくらいしかない。昔、丸めた新聞紙で退治したことはある。床の上なら直ぐに物理攻撃をするところだが、出現場所はシンクの上にぶら下がっている棚だからそうもいかない。
 棚の幅は30cmくらいだ。出現したのと反対側の右側からものを移動させた。とにかくものを置く場所がないので、棚の中にあったレトルトカレーとかランチョンマットとかをたまたま近くに置いてあった仕事用のカバンに突っ込んだ。もたもたしていられないのだ。そのうちにGはギャバンの筒と筒の間に体を隠した。その中から時々長い2本の触角だけが見え、さかんに動いていて止まることがない。フッと軽く息を吹きかけるだけで察知して、触覚が引っ込む。何てとこに入っとるんだ。取り敢えず、塩・コショウを入れたお菓子の容器以外は別の場所に移した。組み立てたホイホイを一つ、お菓子容器の右側に奥の壁に付ける形で設置した。もう一つはお菓子容器の左側に、側面の壁に付けるようにして手で押さえてみた。左側を抜けて上に行かれると、2段目と3段目にはものが未だたくさん置かれたままだから探すのが面倒なことになる。シンクの下に行かれるのも困るので、マスキングテープでシンク下の食器の棚の扉を全て目張りした。コンロの周りの汚れ防止パネルも隙間をすべてテープで貼った。棚から下に降りてきたら、その時は物理攻撃しかない。しかし出来ればホイホイで仕留めたい。左側のホイホイを手で押さえ続ける訳にはいかないので、これもテープで固定した。
 ギャバンは全て空だから、手ではなく割り箸で手前から1本ずつ取り出した。手前の2本を取り出すと、奥の2本の間に隠れているのが見えた。途中倒してしまったりしながら全てのギャバンを取り出して袋に入れた。やがて奴は姿を現して左側に固定したホイホイに入って行き、やったーと思ったが横から中を見ると何と粘着面には触れず、天井裏を伝ってうまく移動していた。何と言うことだ。そして、その内に棚の上の段(中段)に移動してしまった。仕方ないので下段と同様に右側から順にものを移動させ、隠れられるものが無いようにした。するとまた下段に戻って行った。粘着面を避けるとは、何と言うことだ。右側のホイホイの方には全く行く気配がなかった。このまま取り逃がして床の上にでも逃げられると、棚から避難させたたくさんのものがゴチャゴチャした中に隠れられて何とも手の打ちようがなくなる。今、ホイホイの天井裏に潜んでいる。意を決し、こん棒でホイホイの屋根側からホイホイごと3、4回強く叩いた。
 ホイホイから逃げ出したようには見えない。棚の下部は網になっており、顔を網の下に入れ込んでホイホイの中を奥から覗き込んだ。わずかに、1本の触角が飛び出しているのが見えたがそれは動かない。中でどうなっているのか分からないが、一応撃退出来たように思えた。別の場所から(そこも大して離れていない)ゴミ袋を持ってきて、慎重に壁からホイホイを取り外し、手前の出入り口以外はほとんどぺちゃんこになったホイホイをゴミ袋に突っ込み、他の燃えるゴミも入れてしばってマンションの外のゴミ捨て場の扉を開けて投げ込んだ。
 出ない、と思ったら出るのだ。今の住まいで暮らし始めて、出たことは初めてではない。しかしあんな至近距離で、しかも目の前で動くのを見たのは初めてだ(前に住んでいたところで、足の上を走られたことはある)。恐ろしい。しかし彼らにとって過ごしやすい環境を作ってしまっているのも悪い。台所の床を掃除し、台所の表面を次亜塩素酸で拭き掃除し、電子レンジの中も同じように拭き、流しもしっかりきれいにした。
 全部終わった後でネットで調べたところ、熱湯が効くと知った。そういう退治の仕方は若い頃にしたことがあるような気もする。しかし熱湯はいつだってあるものではなく、ものがたくさん置いてある所では使えない。普段から清潔にしておくしかないのだ。黒い物陰すら恐ろしく見える。

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やろうとしていたことは色々あるけれど

 せっかくの3連休なのに予定を前以て上手く組めず、髪を切りに行く以外は何もすることがない。1日目の土曜日は起きてしばらくだらだらしていたが、昼過ぎに気持ちを奮い立たせて、歩いて15分位のところにあるパン屋に行った。車がほとんど通らない住宅街の路地は人通りも少なくどこも静かだった。そうか、今日は土曜日だし夏休みになった影響もあるのかなと考えもしたが、外が暑過ぎるせいもあったのかも知れない。今年の夏は何となく帽子をかぶってみたい気分でこの日もかぶって外出したが、頭にカーッと照り付ける陽の光を帽子がいくらかは防いでくれて、帽子の効果を実感した。うちには2010年代の後半に買った同じメーカーの色違いの三つの麦わら帽子があるが、そのうちの一つを主に使っている。
 パン屋では店員が袋に詰めた生地を冷凍ストッカーにしまっているところで、店内に客はいなかった。約2ヵ月振りに店に入ると直ぐにレーズンパンが目に入った。最近はハーフサイズばかり買っていたが、3連休で食べる時間はたっぷりあると考えてフルサイズを一つ手に取った。いろいろ見て最後にレジ付近の冷蔵ケースに入っていたサンドイッチを追加して5,000円近く買ってしまった。無制御のパン欲が横溢する買い方をしてしまったが、全て自分の腹の中に入って体に蓄えられるので無駄な買い物とは感じない。ただ、欲張ってたくさん買い過ぎた気はする。
 帰り道、スーパーのみらべるで小さい牛乳とカップのコーヒーを買い、帰宅してからパンを5つほど食べ、その後35年くらい前のファミコンソフトのSDガンダムをパソコンで延々プレイした。全35話のキャンペーンモードを既に3巡していたのだが、4巡目に入ってしまった。さすがに明日はどこかへ行こうと思い、いろいろ調べて恵比寿へ映画を観に行くことにした(起きれたら)。冷蔵庫を見ると金曜の夜に買っておいた豚肉とモヤシがあるのを忘れていて、明日の夜まで置いておくと悪くなるかもしれないから恵比寿に行く前に調理してしまおう、起きれたら、と思って着るものの支度を少しして寝た。既に夜中の2時を過ぎていた。
 まる1日ぐうたら過ごして体の疲れが持ち越さなかったからか、翌朝は朝8時過ぎには何とか起きれて、起き抜けのまま豚肉とニラのもやし炒めを作った。皿を三つ用意して今晩用と明日の昼用、それからこの後食べる朝食用に少しだけ取り分けた。
 飯を食べて風呂に入って着替えて外に出るとお隣さんらしき人が自転車でどこかへ走って出て行った。代々木で山手線に乗り換えて恵比寿に着くとさすがに人が多かったが、動く歩道のある長い通路を抜けて外に出たところにある炎天下の信号には人は少なかった。映画を観終わっていそいそと恵比寿駅に戻り、山手線に乗ろうとするとホームに入ってきた電車は満員電車のようだった。中からわんさか人が降りて来て、出て来た乗客の半分くらいは外国の観光客風だった。みんなこれからどこへ行くというのだろう。
 美容院の予約時間まで時間があるのでネットで買ったズボンの寸直しに池袋へ行き、昼飯を食べにキッチンABCに行ったが行列が出来ていたのでやめて、ジュンク堂に行った。スライ・ストーン追悼号のミュージックマガジンを少し立ち読みして3階に行き、このひと月程で直ぐには読まない本を10冊ほど買っているのにまた新書と文庫を1冊ずつ買い、もう一度キッチンABCの店先の様子をうかがってみたが行列のままだったから、特に食べたくもないが松屋に行こうと信号を渡ったところでディスクユニオンに取り置きをしていたのを思い出し、池袋東口側のこの狭い歩道の人混みの中を歩くのはたまらんのう、と思いながらてくてく歩いて店に行き、何となくブッカーアーヴィンのソングブックはないかと探してみたがなかった。バディ・デフランコのクッキングブルースは全て国内盤で3枚もあった。
 飯能行きの各停がうまいこと空いていたので座り、ランチハウスでWセットを食べて一度帰宅し、髪を切りに行った。それからまたてくてく小学校まで歩いて投票に行き、スーパーで野菜と豆腐とアイスなどを買って帰った。アイスは今シーズン初めて買った。1時間くらい休もうとソファに横になって起きたら8時過ぎで、3時間ほど寝てしまった。しばらぐグダグダしていたが起きて晩飯を食べた。何となく寂寥感に襲われたが、飯を食べたら元気になった。やろうとしていたことはいろいろあるが思うように出来ない時もある、でもそれが休日なのだ。

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ベベでレザージャケットを買う

 先週の金曜日に半休を取っていたのをすっかり忘れていて、給与締め日までに休む日を調整しなければならないため急きょ木曜日の午後に休みを取ることにした。しかし半日勤務の日はすっぱりと退勤できることが中々なく、結局午後3時過ぎまで職場にいて、仕事が終わったら新宿に書類を出しに行った。丸の内線の西新宿という駅で降りて帰りは大江戸線の都庁前駅から乗った。
 先週から江古田駅前のベベの閉店セールが始まった。2月6日の仕事帰りに店の入り口の周囲に大きく「閉店売尽し!!」と出ているのを見て、いつものように早く帰宅するために素通りするところを思わず立ち止まって確認した。ベベも閉店か、と目の前の現実を受け止めながら、20年ほど前に炎のようなニックネームの後輩と当時閉店した定食屋の竹とんぼの豚スタ(豚肉のスタミナ炒め定食)を自分たちなりに再現しようと、ベベの地下フロアで中華鍋を買ったことを思い出していた。サンアダチがなくなった江古田では何やかんやと日用品を買うにはベベは便利なところで、かと言って頻繁に買い物をすることもなかったが、困ったときにはまあまあ頼りになるところだった。1階や2階には衣類もあって、地域の高齢マダムにとっても便利な場所だったろうと思う。
 閉店セールが始まった翌日の土曜日、時々見に行っていた地下フロアのヒーターでも見てみるかと行ってみると、店内は普段目にすることのない人だかりだった。体を洗うタオルと皿を洗うスポンジを買ってから美容院に行き、ベベの話をすると、他のお客さんも残念がっていること、特におばあさんたちはこれから何処に行けば良いのかと漏らしていること、建物の耐震工事をしていないこともあって取り壊しになることなどを聞いた。この美容院のオーナーは尋ねるといつもいろいろ町のことを教えてくれる。余り行くことはないが、ベベが江古田のランドマークのような場所だと思っているのが自分だけではなかったことが分かって少し嬉しかった。髪を切り終わってからまたベベに行った。
 今度は、手持ちの長袖の寝巻がボロボロなのでいつかベベで探してみるかと考えたことがあったのを思い出して2階の売り場にも行ってみた。パジャマはとてもたくさん種類があったが、これはというものはほとんどなく、他の服もいろいろ見てみた。仕事用のワイシャツを吟味して2枚選び、これまで自分では買ったり着たりしたことのないような雰囲気の服の数々を新鮮な思いで眺めていたら、割と良い感じのブルーのレザージャケットが目についた。元の定価は割とするが、値札を見るとかなり値引きされていた。ちょうどブルーのレザージャケットで良いのはないかとふと思い立ってネットで探したことがあったばかりだったから絶好の機会と思ったが、値引きされていたとはいえそれでも安くはないのと、ベベで売られているだけあっておじさんの自分が着るにしてもより一層おじさん感が増すアイテムだっただけに、衝動買いはせずこの日はワイシャツの他に靴下を買って帰った。
 翌日曜日、午後の用事の前に急いでベベに行き、5分ほど店内を見て店を出た。昨日のレザージャケットはまだ残っていたが、店内は品数が減って売り場がコンパクトになっていた。

 さて話は木曜日に戻り、大江戸線の新江古田駅で降りた。半日勤務の日にも関わらず大して早くもなく、むしろいつもの1日働いた日よりほんの少しだけ早いくらいの時間だった。このまま帰るかどうか少し考え、またベベに行った。とても風の強い日で、新江古田の交差点から北に走るバス通りを歩きながら埃や花粉にまみれるようだった。週末になるとまた来店客が増えるだろうから、なくなる前にあのレザージャケットをもう一度見てみようと思ったのだ。
 店について地下フロアに行くと、品物の数がさらに少なくなって売場にゆとりというか隙間が増えたように見えた。買うものもなく2階の紳士服売り場に上がると、ブルーのレザージャケットはすぐ目につくところに展示されていた。トルソーに着せられてインナーのニットや黒いズボンと一緒に飾られているのを一目見て、ラックにかかっていた時よりも一層強くおっさんぽい印象を持った。しかも分かっていたことだが、サイズはLだ。自分の体形が変わってきていたとは言え、Lサイズの服は買ったことがない。フロアはレイアウトがかなり変わって、端の方は品物もなくがらんとしてパーテーションで遮られ、カバンや靴売り場は置いてある商品も少なくなっていた。関係ない服を眺めながらウロウロして一度フロアを離れて、階段の踊り場でおっさん風のレザージャケットの着こなしをスマホで調べてみた。そして一度着てみるしかないと心を決めて、またフロアをうろうろしながらおばちゃんの店員さんに声をかけて試着させてもらった。悪くはないが、鏡に映ったおっさんそのものの自分の姿にためらいながら、「レジにて全品20%オフです」とか「取り壊しになるので…」などと店員さんが言うので、オフになるのも取り壊しになるのも知っているよと思いながら購入を決めた。平時に他の店で見たとしたら買わなかったかも知れないが、もう買う機会のない1点ものであること、この週末に更に値引き額が大きくなったらさすがに売れるかも知れないこと、閉店するベベのことを思い出すよすがになるなど、いろいろ考えた。土曜日に見た時より更に安くなっていて、元の売値の半分以下になっていた。それが更に20%オフになってもまだ安いとは言えないが、同情心でこれ以外にもう買うものもないだろう、とどこかすっきりした気分にもなった。普段は先ず購入の選択肢に加わることもなかったベベで買った服をこれからどう着るか、工夫は出来そうに思えた。
 明くる金曜日、何となくのんきに仕事をしていたが、午後になると翌日のイベントの準備で余裕がなくなってきた。医療業界は割にクラシックな体質なのか昔ながらの習慣を持つ人が何人かいるというだけのことなのか分からないが、何種類かのチョコレートがどこからともなく配られて、男女関係なく付近の職員に行き渡った。そんな中で、いつもくたびれた様子で仕事をしている僕を励ますためか同僚2人がチョコレートをくれた。遅くまで翌日の準備をして、くたびれて帰宅したら、宮城の親戚から荷物が届いていた。何となく「捨てる神あれば拾う神あり」ということわざを思い出していた。
 土曜日の午前は職場のイベントで、終わったらゆっくり昼食をとる時間もなく一人で仕事に取り掛かった。あと少ししたら帰ろうと思いながら夕方になり、カーテン越しに日暮れを感じて焦りつつ、帰る頃には日が暮れていた。今日はいつも起きる時間に目が覚めたが、疲れが取れず、何度か寝たり起きたりを繰り返して昼過ぎまで寝ていた。その後も寝ては起きて過ごし、何をしたということもない休日になった。

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盆おどりを眺める

 神奈川の綱島でスティールパンの練習をして、うとうとしながら地下鉄と私鉄の相互乗り入れ便で住まいに戻った。
 家に近付くにつれてにぎやかな音が聞こえてきた。家の近所の公園で盆踊りをやっているのだ。時刻は夜7時になるところだったがまだ明るく、公園の周りに普段は見ることのない数の自転車がとまっていた。昔の盆踊りとは違う雰囲気で、懐かし目のJポップの16ビートに無理矢理リズムを合わせて太鼓を叩いていた。
 20年以上前に学生だった頃、通学でこの公園の横をいつも通っていて、盆踊りの日に何をするでもなく公園の片隅から少しだけ中に入って眺めていると、お店か祭りの係か何かやっているような様子の知らないおばさんがジュースをくれた。そんなことを今でも覚えている。何のジュースだったか思い出せないが、あの頃の大人にまだなりきらない青年が一人でいるのを憐れんだのか気前の良さなのか何なのか、分かりようもないが、ありがたいことだったという思いは今でも残っている。
 梅雨も明けて夏真っ盛りだ。昔は習慣のなかった日焼け止めを軽く塗っても、外に出て帰ってくると肌がひりひりするようだ。

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9月24日 世界ゴリラの日

「世界ゴリラの日」京都市動物園でゴリラの一家に好物の果物

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230924/k10014205211000.html

「世界ゴリラの日」上野動物園で絶滅の危機を知らせる催し

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230924/k10014205401000.html

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休日にあちこちへ行く

 休日に予定を入れて、それに向けてやることがいろいろあるのに中々身が入らず、時間を上手に使えない。目覚ましの時間から1時間半ほど過ぎてからようやく起き上がり、パンを食べて支度をして出かけた。夕方に予約した歯医者まで少し余裕があると思っていたがそうもいかなかった。少し遅い昼食を飯田橋の富士そばでとった。テーブル席とカウンター席があり、自分はカウンターで食べたが、店を出るときに出入り口近くで二人の男が立って黙々と食べているのを見て立ち食い席があるのに気付いた。
 池袋でデータ復旧見積りに出していた電源がつかなくなったスマートフォンを回収し、歯医者までどうしようかと考えた。電車の移動時間を考えると余り時間はなく、チェックしていた梅崎春生の新刊を見るために少し歩いてジュンク堂に行くことにした。
 売り場に行ってみたが直ぐには見つからず、棚の場所を確認したら壁側に並んでいるということだった。文庫だと思い込んでいたが、今回刊行された小学館の『P+D BOOKS』というシリーズは電子書籍とペーパーバックの同時リリース企画というもので、図書館によく所蔵してあった大活字本の一回り小さいくらいのソフトカバー本だった。イメージと違っていたので購入はせず、かわりに去年からチェックしていた全3冊の梅崎春生作品集でも買って帰ろうと並んでいた棚に行ってみたが、見つからない。検索機でも調べてみたが、どうも売り切れてしまったようだ。あれを買う愛好家がいるのかと驚くと同時に、20年近く前の本なのだから今度、今度と思っているとこんなことになるのだ、と嘆息とともに苦笑いするしかないような心持ちになった。しかしそんなことはこれまでもよくあって、刊行時に立ち読みしてフェアポートコンヴェンションのことが書かれていてからいつか買おうと思っていたピーターバラカンの愛聴盤回顧録はいつの間にか店頭から消え、数年後に文庫本が出た。これは最近になってネットで買った。どんな本も増刷されるわけではないのだから、欲しい時に買えば良いのだが、本も安い買い物ではないから何でもかんでもとはいかないのだ。
 エスカレーターで1階に降りて音楽雑誌コーナーに行くと渡辺享が告知していたレコードコレクター増刊の女性シンガーソングライター特集が積んであり、それだけ買った。池袋のジュンク堂は20年前の学生時代に友人がアルバイトしていた時からよく行っている。時々変わった人もいるが、大体の人は感じの良い接客だから、こちらも買い物がしやすい。
 まだ5月半ば過ぎなのに梅雨入りしたような天気だが、本屋を出ると雨は降っておらず、ちょうど明治通りの歩行者信号が青になったから小走りで渡った。夕方の西武池袋線豊島園行きは空いているから気楽だ。江古田に着いて歯医者に行き、帰りにマザーグースでパンを一つ買った。EVの自動車がタイヤをジリジリいわせながら道を進んできたと思ったらバックを始め、何だと思って見ていると更に方向を変え始めたので、これは大丈夫かと赤の他人ながら気になって見ていると、70代くらいのおじいさんが何回か切り返しを繰り返して昔のセイフーの方に向かう狭い路地に入って行った。
 帰りは仕事の行き帰りで使うのとは違う、学生時代によく通った千川通りと目白通りを南北に結ぶ道を下って帰宅した。あの頃が戻ったら良いのに、といったことは思いもしないが、でも何となくなつかしくはなるのだ。学生の頃は家々に囲まれて見上げる空の狭い街だ、と感じていた。今もその印象はかわらない。

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大事なものを揃えなおす

 2週間前のこと、仕事中に財布を失くしてしまった。中に現金は2千円くらいしか入れていなかったが、クレジットカードやキャッシュカード、免許証や保険証など生活するうえで必要なものを財布ごと全て一緒になくしてしまった。何ともドジなことだ。状況からして見つかるとは考えづらいため、つらいが早々に諦めて気持を切り替えて、あらためて新しく揃え直そう、と心の中では思った。しかし実際に一つ一つ手を付けるとなると中々億劫で、一週間経ってやっと免許証の再交付だけできた。その後一週間は、財布の代わりにジップロックにわずかな小銭とお札を入れてしのいだ(昔、平野レミがジップロックを財布にして使っているという話を聞いて、なるほど透明だから便利そうだなと印象に残っていたので真似してみた)。
 クレジットカードは数日前に新しいのが郵送で届いたものの、キャッシュカードを使ってATMで現金を下ろせないのは不便だ。今日は午後から歯医者だったから、その後に銀行でカードを作り直し、財布を買って帰ろうと考えた。財布を買う店は決めているから、移動の経路上にある給与振り込み用口座の地銀に向かった。するとプライベート用に持っている口座の大手銀行が並びにあった。両方で手続きができるのでラッキーだが、しかし窓口の閉まる時間が差し迫っている。地銀での手続きの合間にもう一つの銀行に「これから向かいますから」と連絡し、すべり込みで何とか両方とも手続きを行うことが出来た。キャッシュカードの再発行という目的は同じなのに仕組みがいろいろ違うのか、地銀では手続きにかかった時間が20分ほどでカードも即時発行されたのだが、大手銀行の方は再発行と同時に認印の変更もすることになったのもあるが1時間近くかかってカードは後日郵送という説明を受けて終わった。
 ともかく、あとは郵便局のキャッシュカードと保険証を再発行すれば、生活に必要なものは再び手元に揃う。電車で上野に移動し、目当ての店で財布を買った。家を出た昼間は暖かかったが、夕方になると涼しくなっていて、コートを着ている人の姿も珍しくなかった。地下鉄では袴を着た若者を見かけた。乗り換えの池袋で通勤定期を更新して自宅に帰るために西武線のホームに立った頃には夕方5時頃になっていて、仕事の帰宅どきには少し早いように思われたが、乗客は多かった。住まいの江古田に着いて帰路につくとスーツを着た若者とすれ違った。あちこちにグループが集まっているのも見かけた。家の前の公園では、傘をささなくてもすむくらいの雨の中、円陣を囲むように大勢の男女が集まっていた。それぞれに旅立ちの日を迎えたのだと思った。そして自分たちの学生の頃を思い出した。春はいつも見送る側だった。今年も冬はいつの間にか過ぎ去って行った。

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冬の日々が過ぎる

 年末はあわただしく過ぎていった。
 大晦日から年明け2日まで、都内の妹夫婦宅でうまいものをたくさん食べ、テレビを見るだけというゆったりとした日々を過ごした。そして1月もあれよと言う間に過ぎ去り、今はもう2月の半ばに差し掛かろうとしている。変わらないようでいて色々なことが変わっていくものだ。
 1月の終わり、帰宅すると郵便受けに「鳥を探しています」と大きく書かれた迷い文鳥の捜索チラシが入っていた。紙面にはかわいらしい桜文鳥の写真が印刷されていた。それを見て、高校1年生のときにうちに迷い込んできたチュンと名付けた文鳥のことを思い出した。鳥は飛ぶ生き物だから、何かの拍子にさえぎるもののない空間に飛び出すと、何処かへ行ってしまうのだ。チュンはうちのベランダでやたらと鳴いていたから、飼い主のもとに戻ることは出来なかったが、その後の数年をうちで暮らすことになった。その後、大学進学で実家を離れてから、ある事故であの世に飛び立ってしまった。その時は家族皆が悲しんだ。「鳥を探しています」のチラシの作り主は、切ない思いを抱いて作ったのだろう。「私達の大事な家族です。探しています。」とも書いてあった。小鳥はとても小さいけれど、犬や猫と同じように人間にとって大切な存在になり得るのだ。
 2月になり、NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」が完結した。見始めたのは途中からだったが、大河ドラマの視聴は飛び飛びに見ていた「いだてん」を除くと、小学生の頃に放送していた伊達政宗、武田信玄、足利尊氏以来だった。家では大体NHKをつけていて、5分間のダイジェストを何となく見ることが度々あり、そのうち本編に興味を持ち、毎週日曜日夜の放送時間を意識するようになったのは話が半分を過ぎた辺りだった。
 終わりは俗説を採用したような形で、何となく狐につままれたと言うか、複雑な思いにさせられるものだった。主人公が非業の死を遂げるという終わり方なら、判官びいきみたいな形で感情移入して涙できたのかも知れないが、現実に苦しいことの多くなった世の中だから、こんな終わり方も良かったのかもしれない。逆賊のイメージで語られる明智光秀を取り上げたところが面白かったし、毎週同じ時間に楽しみがあるのは良いもんだ。主演の長谷川博己のラストインタビューが掲載されるというので、10数年振りにNHKのテレビ雑誌『ステラ』も買った。来週から始まる渋沢栄一も見てみよう。

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いろいろと思い返したりもする

 季節はすっかり秋になり、今暮らしている山の盆地の町は夜になるともう寒いくらいだ。休みになると、昼過ぎまでたっぷり寝て起きても何もやる気になれず困る。そして何もせず夜になる。何でも億劫なのが気候の変化のせいなのかは分からないし、元々休みの日はそんな状態だったような気もする。10月の終わりにやっと夏の洗濯物の山をしまったくらいで、狭い部屋の中がどうにもあちこち散らかってよくない。遠出して買い物したものも何となく置いたままになっていて、昨日や今日がそのまま放置されて何か月も過ぎて行っているようだ。
 さて日々の暮らしのそんな有様はさておき、最近は何となくポピュラー音楽に関する書籍を続け様に買っている。東京にいた時に気になりながらも見過ごしていた『ビル・ブルーフォード自伝』と『ブリックヤード・ブルース』は、偶然だがどちらもイギリス出身のドラマーの自伝だ。後者の著者で主人公のキーフ・ハートレーは2011年に亡くなっている。共著者のイアン・サウスワースの『200CDブリティッシュ・ロック―1950‐2003』は、都立図書館の開架にあるのを手に取って気になっていながら購入の機会を逃し、後から練馬区の図書館で借りて中身をチェックしたことがある。10数年前の本が書店取り寄せで新刊で購入できて、ありがたいことだった。それにしても年月は経つものだ。手に入る時は何とも思わないでいるのに、入手困難になった途端に焦って動き始めるというのは間抜けなことだが、多分自分にはそういう所が多くあるのだ。
 珍しく買ってからさっと読了した向井秀徳の『三栖一明』は、後追いのファンもどきの自分のような者でも面白く読めたから、ナンバーガールの頃からのファンにはたまらないものだろう。ナンバーガールは活動期間が自分の学生時代と重なるから、当時のことをいろいろと思い返さずにはいられない。三栖氏が8月の同著出版の展示会終了に際してtwitterで発した、バンドの曲名でもある「センチメンタル過剰」というコメントに、外野にいながらも何とも言えず胸を打たれた。
 そんな読書の日々(というより本を買い求める日々)のきっかけになったのは、ボウイの死後に出版されて入手したものの途中で読むのを中断してしまっているトニー・ヴィスコンティの自伝のような気がする。これまでは録音された作品やそれにまつわる幾つかの発言・情報でしか触れることのなかった人物たちに、こうした読書体験によって本の記述を通して生きている人としての作品とは別のところにある奥行きを感じるし、そう感じること自体が新鮮で、人として再発見することになって面白い。
 本は増えると置き場に困るからしばらく余り買わないようにしていたが、(日々に満足できていないからかも知れんと適当な自己分析をしてはみるが)今は何となく買いたくなる時なのだろう。大抵の場合積読になりかねないが、そうならないようにしたい。

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家で晩飯を作る

 今日は休日だった。頼んでいたCDを午前午後の二度に渡って受け取り、夕方から数時間寝て、ほとんど眠って過ごした一日だった。今日届いたものと、9月末に新宿と京都で買って置きっ放しになっていたCD(未だにフィジカルで購入する日々)を合わせるとまとまった枚数になり、そのままにできないので整理して棚に収めた。
 午後の寝起きのぼんやりした感じで冷蔵庫からスーパーの弁当を出して食べ、バートヤンシュの初期作を流し、夏からずっと魔窟のようにたまっている洗濯物を今日は片付けようかと思いはしたものの、遅すぎる午睡が長くなってしまい、それも叶わなかった。研修で行った大阪で買った力士最中の最後の一つを食べ、にわかに晩飯を食べたくなり、2ヵ月振りくらいで豚肉の野菜炒め(もやし)を作って食べた。良くも悪くもかわらない味だ。10年以上、こんなのばかり作って食べてきた。夏はやたらと忙しさに追われる気分でスーパーの弁当や普段はめったに食べないコンビニ弁当でしのいでいたが、作って食べるのは大事なことだ。と晩飯を食べて思った。コンロを使ったせいか部屋の中が暑くなった。