ニ連休の二日目の今日、職場から大きな苦情が発生したと連絡が入った。もしその苦情の原因が報告のとおりだとすると、ものすごい初歩的なミスによるものだ。該当スタッフには、数日前にしっかり自分自身で見落としがないようしっかりチェックしていこうと話したばかりだったのに。うまくいかない時もある、でもその一つ一つにきちんと向き合っていけば実りは得られる、と思って明日を迎えるしかない。
休みの間にギターでも弾こうかいな、と思っていたが、結局手にすることもなかった。そのかわりに、一年前の地震以来傾いたままになっていた本棚の本を整理し、机と棚の位置を変えた。今の部屋は狭いから、模様がえも簡単に出来ない。いや、ほとんど出来ない。にしても、少しでも片付くのは気分がいいもんだ。今朝はゴミ捨てに間に合わず、ゴミ袋が二つもたまってしまったが。
夕方、美容院の人に教えられ、目黒川の桜を見て帰った。満開・満開・満開だった。道行く大勢の人が立ち止まって眺めたり、写真を撮ったりしていた。あれだけの桜をいっぺんに見たのは、初めてかも知れない。
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モーモールルギャバンの新譜を聴いた。歌が丹念に録音されている、という印象を持った。単に歌声の音程が安定している、ということなのだが。モーモールルギャバン、愛すべきバンドだ。パンツを脱ぎ捨ててどこへ行くのだろう。
20代の若い同僚が「一年前と同じような景色に見える」と言って行き詰っているようだ。何とか道を拓かせてやらないといかん。
夕方、左回りの山手線に乗って台東区の不動産屋に行った。五反田から浜松町の間の駅は、知らないところばかりだ。
不動産屋では社長のおじさんの説明を聞き、部屋のすきま風について話し、金を払って更新をした。今の住まいに移り住んで2年が経った。早いものだ、ついこのあいだ引っ越してきたような気でいたが…。物の量は一向に変わらず、しかし以前ほど買い物をしなくなったので増えたりはしないが、何となく寝起きをしているだけのような暮らしでもある。とは言え楽器を弾けるというのはよいことだ。不動産屋では一年前の震災の日のことを話したりして、帰りにちょっと浮かれてアメ横へ行き、リュックを買って帰った。昼から続いていた頭痛は夜になっても止まなかった。
今住んでいる街には今でもそれほど愛着を感じないのだが、使いやすい場所にスーパーや弁当屋もあり、生活には便利だ。どこかへ引っ越したいとも思うが、来年度も今の職場にいることが決まっているし、また引越しをしようと奮起する気にもなれない。何処かいい街があれば、と思うが、それはどこだって大差はないのだろう。住んでみれば何処でだって暮らせるし、離れてみればそこを懐かしく思うもんだ。
もうすぐ春になる。今月は雪が降ったり風邪をひいたりして、冬の終わりをがやがやと騒がしく過ごしているかのようだ。しばらく前に買った春物の上着を早く着たいな、と待ち遠しく思いながら、すぐに暖かくなって着る期間は短いかも知れんな、と要らぬ心配をしたりしている。同じように月日は過ぎていくが、そんな風に楽しみがあるのはいいことだ。花粉症も、何とかやり過ごしたいもんだ。
年に一度の職場の大仕事を終え、また明日から通常開館となる。明日は日曜日、普段でも週で一番込み合う日だが、休み明けとなるといつも以上の混雑となるのは避けられない。そして、しばらくはあわただしい日々が続く。大仕事は終わったが、それは大変な日々の始まりでもある。
仕事をたくさん残して敗走するような帰り道、スーパーで豚肉などを買って帰ったが、結局何も作らないで寝てしまった。目が覚めて餃子だけ温めて食べた。
2月から、昇進(という程のものでもないが)する20代前半の子が、ここにきて怖気付いたのか不安そうで、後ろ向きな発言をするようになった。一緒にチームを動かしていく立場なので正直残念で、これからが踏ん張り所という時に何でそういうことになるんだ、と思ったりもするが、やってもらうほかない。昼飯を食べながら少し励ましたりしたが、大人相手に何をやっているんだという気もする。でも今はとにかく、準備をして前向きに臨んでもらえるように励ますしかない。それで前向きにならないのなら仕方ない。
それにしても、春から新しいチーム運営を目指そうというときに味方が得られないというのは寂しい気持になる。しかし現場のスタッフのみんなは、頑張ってくれるだろう。
明日の朝、やることが多過ぎる。大変だ。自分も怖気付いている。頑張ろう。
ところでモーモールルギャバンは3月に新譜を出すそうだ。The Whoと似たような感じで、決してスマートにはいかないが美しさを湛えている、そんなところが魅力なのではないかとふと思ったりした。歌声だって見た目だって格好良くはないが、全力で音楽に向かっていている。そんなバンドだ。
友人がブログ復帰して大変喜ばしいので、自分でも久しぶりに書いてみることにした。
以前、先輩が「(自宅が散らかっていて)地獄になっとる」と言っていた。今、例えるなら、我が家も地獄の最中に違いない。年末からそろそろひと月近く、流しがそのままになっている。飲み物を飲んだコップやグラスが少しずつ増えていき、牛乳やジュースのパック、空き缶が積まれている。台所がそんな具合だから、晩飯は外で買って帰る弁当ばかりだ。
今月は仕事で忙しくなるのが前以て分かっていたが、年末に予期せず結婚式の余興の依頼を受けて以降、そちらの作業に没頭していた。来るべき仕事の面での変動に背を向けたいような気持もあるのだろう、という自覚もある。結婚式が終わったら、直後から職場の一大仕事が待っている。そうして迎える2月、そして3月は、大きな動きのある時期だ。人に頼らず、自分が頑張らないといけない。音楽に没頭することも出来なくなるかも知れない。
今度の結婚式で歌うのは、江古田に住んでいた頃に卒業する後輩へ贈る曲として作ったものだ。なぜそんな古い曲を今になってやるのか、という戸惑いもあった。下手なりに趣味の音楽を続けてきて、大きな実りには至らなかったとは言え、昨年はいいメロディーを作ることも出来た。ごく個人的でな事ではあるが、そんな自分自身の手応えからすると、今度歌う曲は今ではもう昔の曲でしかない。余興の依頼を受けた時は、そんな風に思った。あの頃の気持は呼び起こせないかもしれない、ならばその代わりに、今の自分に伝えられるものがあるのでは?と考えたりもしたが、花嫁にとっては自身の節目の時にこの曲を聞くこと自体に何か意味があるのかも知れない。そもそも昔の曲ではあっても、自分の作った曲にリクエストがあるって、どういうことだ。率直に言うと作者としては嬉しい。今の自分にとっても、心の中で未完だったこの曲が今回の作業の中で一応の完成を見たこともあり、今再びこの曲に取り組むことが何か意味のあることのように思える。いや本当は、それが何か特別なことのように思いたいのだ、きっと。そんな特別なことは、そんなにはないよ。
ともかく、こういうことをやれるのも今のうちだ。結婚式の演奏はほんの一瞬で終わる。終わったらもうそこにとどまっていてはいけない。そうして自分のための音楽を作ることも、日々のあわただしさの中で忘れていくんだろうか。去年の夏頃には阿佐ヶ谷のライブハウスで歌おう!という目標を持って新しく自分のアコースティックギターを購入したりもしたが、そんな目標もどっかへ行ってしまった。おっさんはもう学生みたいには出来ない。
そんな風に冬の日々を過ごしながら、連日モーモールルギャバンの新譜を聴いている。DVDと同梱のシングルで、”Good Bye Thank You “と”俺、風呂入るTonight”の二曲が収録されている。ゲイリー、それ以上のかなしみはないだろうに。そして”俺、風呂入るTonight”、詞とメロディーとのはまり具合が絶妙過ぎる。過ぎる!これは本当に、一聴の価値あり。おれフロはいるトゥナ~イ
若者に続いて、同じ役職の同僚も職場を去ることになった。寒々しい気持になる。思えば年々、知っている人たちが辞めていく。みんなそうやって、自らそれぞれの転機を得るのだろうけど、それがうらやましい。だけど考えもなく真似をしてもしょうがないから、自分は自分の日々を過ごすだけだ。
職場では、しばらく前から懸案になっている問題利用者(と言っても、迷惑行為をする、というわけではないのだが…)への対応にとらわれることが増えた。今日はそれで時間を取られて、それだけしかしていないように感じた日だった。そもそも懸案と言っても、ある利用者の申し出があって初めて浮上してきた問題だった。
利用者Aは、別の利用者Bの、閲覧席の利用の仕方に問題があると考えている。Aは、たまに図書館を使う。一方のBはほぼ毎日来館する。Aは、来館しては度々窓口に上述の旨申し出に来る。それで、利用者Bに働きかけるようにし始めたが、利用者Bはあらためようとしてくれない。先週は事務室を、一人で阿鼻叫喚の空間にした。利用者Aから苦情が出てくるまでは見過ごしていたの実状だが、そのうちに利用者Aは、Bが長く席を離れている間に「図書館を出て行け」というようなメモ書きを残すようになった。そんなメモを二度ほど発見したが、巡回のスタッフが回収したために利用者Bの目に触れることはなかった。今度そういうことがあれば、メモを回収せず置いたままにしておこう、ということにはなったが、その後同様の事は起こっていない。働きかけをする側としては、そういうメモがあった方が「こういう具体的な苦情が出ているんだ」という証拠として示すことが出来るが、しかしそんな事をするのもどうかと思う。そんな気がする。利用者Aは「何とかしろ」という。利用者Bはひとりよがりな言い訳ばかりしている。
今日は、怒ってばかりだったBさんと話すことができて、幾分かは進展となったと言えるが、「誰にも迷惑かけていない、席も自分一人分しか使っていないし、うるさくもしていない」という釈明には、理解を示したくもなる。しかし苦情があった以上、何もしないわけにはいかない。一方で館の上層部の職員は、この問題に閉口してしまっているような様子だ。なやましいところだ。何のためにやっているのだろう、という気になってくる。
そんな日々のなか、再び粗食になって来た。ながしは数日間放置してしまっている。そんな暮らしを反映してか、一昨日はGが出た。夜、ベースを弾いていてふと床を見るといた。若いやつだった。と、何か気配を感じたのか、近くの物体に隠れようと動き出す。近くにあったのは、ギターのチューナーだった。頭隠して尻隠さず。チューナーはやつを少しも隠していなかった。でも少しの刺激で、敏捷に逃げ去ってしまうだろう。周囲には障害物が多過ぎて、一度逃したらその中から探し出すのはほぼ無理だろう。慎重に狙いを定めたが、一発目、しとめられなかったが、幸いやつはこちら側に動いた。二発目でやっつけた。
こんなことしている場合じゃない。うまい飯が食いたい。
昨日、今日と上司と話す機会があった。まだはっきりとしたことは何一つ決まっていないが、異動することになるかも知れない。自分で希望を出したこととは言え、今の所属館を離れることを意識しだすと、途端に職員の方たちや利用者たちの姿が浮き彫りになって見え、離れがたく感じる。慣れ親しんだ場所が安心できる所なのは間違いないが、今同じところに居続けるのは、自分の中で何か諦めのようなものを放置することのような気がする。
そんな中、10歳近く年下の同僚(立場上は自分が上司だが、決して「部下」とは呼べない)が、人知れずある専門図書館の求人に応募して採用されたという話を知った。本人は、「何となく受けた」と言っていた。新しい職場は神奈川県になり、自宅から通うには遠いため、一人暮らしをすることになると言っていた。正規採用だという。新しい仕事、新しい暮らし、うらやましい。
この頃、引っ越して新しい所へ行く夢をよく見る。この間は目黒区に住む夢を見た。でも夢に見るような街はどこにもないだろう。どこへ行っても人は多い。
ところで、モーモールルギャバンのミニアルバム”サイケな恋人”がいい。メジャーデビュー前に制作されたもので、来月出るシングルに収録曲の”俺風呂入るトゥナイト”が新録音で収録される、というので聴いてみた。歌はあんまりな内容のものがてんこ盛りだが、その音楽からは何となく青春の匂いがした。秋の日も深まりゆく今、我が家ではブリティッシュフォーク系の音楽に混じってモーモールルギャバンが再びがんばっている。
夏が過ぎ去って秋になって今は11月、来月はもう12月だ。一昨年も去年も、年末を落ち着かない気持で過ごしたから、今年は平穏に年を越したい。
今日は仕事中に偶然、『ボリボン』というとても興味をそそられる題名の絵本を手にした。『ラチとライオン』や『ブルンミ』をかいたマレーク・ベロニカの絵本だ(どれも読んだことはない)。今度時間があったら読んでみたいが、そういう風な本との一瞬の邂逅というのは度々あって、面白そうな本は急いでタイトルをメモに取ったりする。以前はそうやって知った本を少し読んだりしたことがあったが、今では実際に読んでみたりすることは無いに等しい。
夜間、倉庫へ取りに行った『また もりへ』という絵本を歩きながらパラパラめくって見てみたら、とても面白そうだった。これはマリー・ポール・エッツの『もりのなか』の続編で、文字どおり森の中を舞台にした絵本だ。少年と動物たちが車座になって何やらやっているのだけど、ページをめくってもめくっても、動物たちが皆そろって腹の前に手を添えて座っている様子が可笑しかった。
読書、全然していない。
炊飯器が故障して一週間ほど経った。ちょっと柔らか目のご飯にしようとして水を多めにしたのがいけなかったようだ。炊飯器のディスプレイはエラー表示のままになってしまった。
炊飯器が使えない間、米の作り置きもなく、店で買って来た弁当ばかり食べていた。今夜はともかく米を炊こうと思い、学生時代に使っていた炊飯器を出そうとした。その前に、故障した炊飯器が何とかならんかと手をつけてみると、エラー表示が消えて元の時刻表示に戻った。米を入れて炊飯をセットすると以前はしなかった異音がしたが、米は無事炊けた。
普段使っているものが使えなくなると、それだけで生活がつまづいたようになる。炊飯器が使えるようになってよかった。
休日、昼過ぎに起きて少しギターを弾き、クリームパンを食べて洗濯した。土曜から残っているながしの洗い物は片付けられなかった。日もそろそろ暮れるという頃に家を出て、歩いて2~30分くらいの所にある自転車保管所に行った。先週の月曜日に駅の近くに自転車を停めて、戻って来たらなくなっていた。よく探さないで帰ったが、なくなったのではなくどこかへ移動させられていたようで、その翌日の撤去分の中にあった。その日はギターを買って帰って荷物があったから、方々探し回る気にならなかったのだが、よく探せば見つかったに違いない。そうすれば無用な金を払うこともなかった。手痛い出費だ。でも自転車が手元に戻ってよかった。
その後、以前一緒に働いていた懐かしい面々と飲んで食って笑った。利害関係なく時間を過ごせるのはいいもんだ。みんなも楽しそうだった。飲む前と後にウコンを飲んだから、何とか具合は大丈夫そうだ。