今日は健診で採血してパン屋でパンを買って出勤した。睡眠不足と採血のためか分からないが、くたびれた。
今、家のテレビにはニューファミコンが接続されている。そうなったのはここ1、2ヵ月のことだ。今の生活の中でゲームを、それも昔散々やったものをまた再びやっているということは問題だ。問題だ。このブログでも、これまでにゲームの記事を書いた記憶はない。それくらい、普段ゲームをやることはなかった。練馬区から引越して以降、ゲームを荷物から取り出すこともなかった。ともかくそんな現在の日々を少し振り返りたい。
やるソフトは2つしかない。「くにおの運動会(ダウンタウン熱血行進曲)」と「カプセル戦記」だ。それぞれ1990年と1989年に発売されたファミコンソフトだ。手短にゲームをやりたいときはくにおを、腰を据えてやりたい時はカプセル戦記をやる。ここ数日は主にカプセル戦記をやっている。
カプセル戦記はシンプルなつくりのアクションバトル型シミュレーションで、青軍と赤軍に分かれて様々な地形のマス目で埋められたマップ上で手持ちのコマ(ユニット)を進めて都市を占領して収入源を得て、ベースで新戦力を生産し、敵側のコマとマップ上で重なるとアクションバトルが発生する。これに勝つと相手ユニットは消滅する。こうしたやり取りを経て敵軍の本拠地に辿り着き、親玉をやっつけたら勝利となる、そんなゲームだ。シンプルとは言えマップ構成により戦略は様々で、無計画に進軍することはできない。全部で45体のユニットにはそれぞれに個性があり、安価な量産型から高価な精鋭機までいろいろ選ぶことができる。ただし、手持ちの資金がないと性能の良いユニットを作ることができないので、ともかく都市を回って収入源を得ないといけない。
ゲーム開始にあたって先ずやることは両軍の設定で、大軍と小軍(初期配置ユニット数の大小)、軍資金の量を入力する。子どもの頃はとにかく自分にハンディをたっぷり付けて相手(CPU)に勝つ、ということばかりやっていたが、おっさんになるとそこそこ操作できるようになって、今は相手をやや有利に設定して始めることが多い。しかしそんな風にして約10年振りでカプセル戦記をやり始めた当初、「宇宙の渦」というZガンダムのサブタイトルと同名のマップで「これくらい差があっても大丈夫だろう、逆転する楽しみがあるよ」と相手にかなりのハンディを付けた状態で開始したら、ほとんど太刀打ちできないほどの悲壮な長期戦となり、結局セーブとリセットを繰り返しながら夜通し頑張って勝ったものの、ゲームにしては余りに苦しい時間となった。とにかく相手は高性能機をたくさん送り出してくるが、自分はそれを少数で迎え撃たなければならないのだ。毎回のバトルがしんどすぎる!あまりのしんどさに、その後しばらくはくにおばかりやっていたが、妹夫婦が映画館でガンダムを見て来た話を聞いたのをきっかけにハンディを適当な程度にしてまたカプセル戦記をやっている。
一昨日やった”Over Load”というマップは、横長のマップの左右に各軍の本拠地とその基盤となる要塞が配置され、要塞の周辺には都市(コロニー)が点在し、両軍の間を隔てる宇宙空間には大した障害物もなく、相手のエリアに進軍しやすいマップとなっている。初期設定大軍の相手は初っ端からどんどん進軍してくるが、一方の自軍は小軍のためユニット数が少なく、都市の占領を最優先で防衛ラインの構築も手一杯のまま、素早く進軍してきた相手と自軍の要塞の境界で戦いが勃発するという最初から押され気味の展開となった。
ところでドムというユニットがある。1体500円で作れる。最安のザクが100円、次いで200円でグフ、ドムは下から3番目の安さで、性能もそれなりだ。子どもの頃は先ず作ることはなかったが、おっさんになった今やっているうちに、ドムは主戦力にはならないにしても、資金のない序盤に必要に迫られて生産した状況で低価格帯にしてはそこそこ使えるということに気付いた。安い2機種と比べて足が1段階速く、手持ち装備のバズーカ砲は弾速がびっくりするほど遅いとは言え爆風もダメージを与えられるので、障害物のある地形では効果的だ。ゆっくり飛んでいく弾が相手に当たるところは信じられないと同時に痛快ですらある。そんなドムで防衛ラインを張り(しかし終盤は御役御免となる)、苦しい籠城戦の中で資金が貯まると高性能機を作って出撃させ、形勢が有利になる頃までが一番面白い。形勢逆転後は、こちらの優勢で進むだけだからだ。この歳になって子どもの頃に買ったゲームをやるのもどうかと思うが、まだしばらくやることになりそうだ。
綿棒がなくなって一週間が経った。毎日風呂に入るたびに使っていたからどうしたものかと思いながらも、「試して合点」で「耳かきはやり過ぎるとよくない」ということが言われていたので、それを支えに綿棒のない日々を過ごしてきた。しかしこのまま持たずに暮らしてはいけそうにない。近所のスーパーには置いておらず、仕方なく仕事帰りにこの一年半行くことのなかった駅の近くのスーパーに行った。
2階の日用品コーナーを探し回ったが置いていないので、レジの人に聞いてみた。すると1階のレジ前に置いているということだった。久しぶりの店内は特にレイアウトがかわった様子もなかったが、いろいろ眺めながら、この街に引越してきた当初の暮らしを思い返していた。ここで暮らし出した頃、部屋が余りに片付かず、台所を使うのを諦めていたので、晩飯はいつもこのスーパーの弁当を食べていた。夜になると安くなるパンもよく買っていた。今日は弁当は残っていなかったが、パンは以前とかわりもせずに並んでおり、一つ買って帰った。
帰宅して、昨夜作っていたおかずを温めて食べた。その後ちょっとファミコンをやった。ずっとしまったままだったのに、今年になってから急にやりたくなり、今では毎日のようにやっている。正月に実家に帰った時に、桃鉄をやり、置いてあったファミコンのゼビウスを見て「久しぶりにやりたいな」と思ったのがきっかけだったと思う。十字ボタンを押す左手の親指の関節の表面が固くなってきた。昔、一生分やりきったと思っていたが、飽きもせずによくやるもんだ・・・。
テレビではNHKが震災を題材にして若者の群像を描いたドラマを放送していた。じっくり見入った訳ではないが、動きのある画面と音楽が妙な魅力を持っており、後で調べたら「あまちゃん」の音楽を担当したのと同じ人だった。地震の前の暮らしには、対して被害のない東京であっても戻りはしないのだ。今日と明日を健康に生きることだ。
夜、豚肉の卵とじを作って食べようと玉葱とニラを切ってからつゆの素がないのに気付き、あわてて冷蔵庫にずっと残ったままだったキャベツを切って野菜炒めにした。お茶もないのを思い出して買い忘れたことを悔やんだ。仕方ないので好物のぶどうジュースをたくさん飲んだ。
遅い晩飯のあと、明日着るワイシャツがないのを思い出してあわてて洗濯した。洗濯は終わった後に干すのが面倒だ。
夕方、窓口にいると時々来館する老婦人がCDを借りに来た。その時に「雀が来る」のだと羽のようなものを見せてくれた。聞くと、家のベランダに米つぶを置いておくと雀たちがやって来て、米がなくなると何やら鳴くのだということだった。実家で文鳥を飼っていた時期があり、それ以来鳥には特別の親しみを感じるようになったので、小鳥はかわいいですよね、と楽しく話をした。
閉館時間になり、館内を見回るといつでもよく寝ているおじいさんが一人閲覧席に取り残されていたため、声をかけて起きてもらったら本人も寝過ごした様子で、あわてて帰り支度をして何やら唸りながら雑誌を丁寧に元の場所に戻して帰って行った。今日はそんなことがあった。
若いスタッフが昨日、いきなり辞めたいと言い出して困惑した。一先ず話を聞いて、今日になって考えてみるとよく分からないこともある。明日また冷静に話が出来たら良いが、ともかく今日明日で何とかと言いだされるのはこりごりだ。でもいろいろ抱え込んでいた結果の申し出だったので、早めに気付いてあげられたらよかったとも思った。昨日はそんなことがあった。
正月休みに実家で数日過ごして戻って来てから、しばらく手付かずだった部屋の片付け(不用品の処分)をまた少しずつ始めた。やらなければいけない、と考えるだけだと途方に暮れて何から手をつけてよいか分からないが、問題やものをリストアップしてみると個々に手を付けていくことが出来て整理して取り組める。そんな気になる。
何も持たずに生きられたら良いが、そんな風に暮らすことは出来ない。しかし持ち過ぎていることも良いとは言えないから、身の回りのものを減らしてはいきたい。帰省や旅行で普段暮らしている場所を離れると、何も持っていないことでとても身軽に感じることがある。普段の暮らしの中にある持ち物で本当に必要なものはなくて、全て捨ててしまえばどれだけさっぱりするだろう、と日常から離れてみて思うことがある。そうした捉え方は行き過ぎかも知れないが、でも「離れたところから日常を見直す」という見方は時々必要だろうから、忘れずに心の何処かに留めて置けたらよい。
ところで江古田の昔ながらの市場が昨年末で無くなった、というニュース記事を偶然見つけた。多分、駅の西側の踏切を渡って元セイフー現グルメシティへ向かう辺り一帯のことだと思う。軒先に子ども用遊具の置いてあった店でたい焼きを時々買ったくらいだったが、無くなってしまうと駅周辺の雰囲気はずいぶん変わりそうだ。‥それから何とはなしに気になってちょっと調べてみたら、そのセイフーが今年の2月に閉店するということで、驚いた。驚いた。踏切の向こう側に、何か出来るんだろうか?Y島さんがバイトしていた薬局も今月で閉店、という情報もあった。知らない間に、急にいろいろなことが変わるもんだ。江古田にはもうめったに行かないし、暮らしていた頃だっていろいろな変化があったが、でも馴染みのあるものの移ろいは何とも言えない気持だ。それだけの月日が過ぎた、ということなのだ。
休日の今日、予定より一時間遅れて起きた。今日は母校の合唱団の演奏会の日だ。珍しく日中の開催で、あらかじめ仕事を休みにしておいたのがだが1ステージ目には間に合いそうもない。途中からでも仕方ない、と電車を乗り継いで会場に向かったが、乗り換えの御茶ノ水で地下鉄の地上出口を間違ってJRの改札までずいぶん走らなければならなかった。改札を通って階段を降りると、乗るつもりだった電車が走り去って行った。あいかわらず間の悪いことだ、と自分のドジさ加減を目の当たりにしていると、すぐに後続の電車が来た。運行が少し遅れていたようだった。
会場はある街のホールで、何度か訪れたことのある場所だった。学生たちは控えめながら澄んだ歌声を響かせ、時折のぞかせる表情 は昔の学生と変わらないような気がした。
終演後、一階のロビーで旧知の先輩後輩と話をした。周りの人たちの中には元団員もいたが、知っている人は余り多くはなかった。しばらくすると皆どこかへ移動し始めた。自分たちも、いつまでも立ち話は続けられないので、会場を出て適当な店を選んで入った。店では昔の話や今の仕事の話をした。それぞれにままならないこともあれば嬉しいこともあるのだ。短い時間で残念だったが一時間ほどでお開きとなり、新居を建てた先輩宅で集まろうという話でお別れしたが、実施は中々難しそうだ。
帰り道、また乗り換えの御茶ノ水で降りると、思い立って楽器店街に向かった。ずっと欲しい欲しいと思いながら迷っていた日本製のラップスチールギターがあって、12月になってやっと購入の決心がついて大手楽器店のサイトなどを調べてみたのだが、廃番のため何処も在庫なしということだった。街の楽器屋に店頭在庫が残っているかも知れないから色んな所に行って探すしかないか、と考えていたばかりで、普段はむしろ敬遠して行くことのない御茶ノ水の坂道を下り、入った店の店員に尋ねると窓側に出ているということだった。外に出て見てみると、四台並んでいるうちの一つが目当てのものだった。スチールギターはそう売れるものでもないだろうけど、たまたま訪れて見つけるというのはそういうタイミングなのだと思い、カードは持っていないので近くの開いているATMを探して再び店に戻り、一ヵ所小さい傷があるとのことで値引きされたものを買って帰った。店員の方から「重いので気を付けて」と渡されたハードケースは小振りながら確かに重量があり、しかし楽器はやはりこうして持ち帰るものだと実感しながら電車を乗り継いで帰った。
帰宅して、小さい部屋の玄関に引っ越して来て以来ずっと置きっ放しにしていたスノコの束をノコギリでカットして燃えるゴミで捨てられるようにした。それから床下に入れっ放しにしていた木材をゴミ袋に入るサイズに切った。これは前の住まいで防音室を作ったときに余って残しておいたものだ。使い途もなく置いていたものをようやく処分することができた。
年の暮れ、ゆとりもなく日々が過ぎ、片付けや掃除も出来なかった。一年間、どちらかと言うと仕事のことなどくよくよ考えることが多かったが、どんな風に過ごしても月日は過ぎ、また一年が終わろうとしている。やれることをやれると良い。と思いながら今日も飯を食っていろいろ飲んで寝るのだ。
昨日も今日も、とても寒かった。そのせいか週末にしては来館者がいつも程多くなかった。
近頃は少し離れた地域の方も来るようになって、まだ小さいからこちらは遠く感じるだろうと思うような子どもたちの姿を見ることも増えた。そんな子どもたちの様子を見ていると、近所の子たちとは違う屈託のない子供らしさを感じることがあり、何とも言えない気持になる。今日はお母さんと一緒に来た子どもが本を借りる言葉を言うのも恥ずかしがっており、母子の伸び伸びとした様子が却って新鮮なくらいだった。別の、まだ小さな乳幼児は棚の間を歩いてお父さんを探していた。
仕事を終えて、いつも乗るバスを見送り、日曜日だから次のバスまでしばらく待たねばならない間に、服を買いに池袋へ行くか帰宅して少しでもギターの練習をするか寒空の下で考えた。考えたというより迷った。どっちもそれほどしたくはないことなのだ。ふと浮かんだある考えに衝き動かされ、横断歩道を駆けて渡り、結局池袋へ向かった。
以前は自転車で行き来していたことも忘れるくらい、池袋は慣れない街になってしまった。訪れるたびに、ターミナルの余りの人の多さに困惑してしまう。上野も人は多いが、駅の構内が池袋よりもゆとりがあるからそれ程気にならないのかも知れない。池袋の地下の人波はものすごい。そんな人波をかきわけて西口へ行き、店員の対応に不慣れなのか方針なのか分からず戸惑いながら目当てのコートを買い、再び戻った地下道では日本語の話せないアジア系の人に呼び止められて手元のカードに書いてある日本語を尻目に言葉も交わさず立ち去った。学生の頃は新宿の南口でよく何か声をかけられていたのを思い出したが、後になってそれが手相の勉強中の人だったのを思い出した。いろいろな人がいろいろな活動をしているものだ。閉店間際の楽器屋では初めてのサムピックを買った。
時々は買い物も楽しいものだ。でも出来れば必要なものだけ持って暮らせると良い。そんな考えは実践に至らず、家は相変わらず散らかったままだ。帰宅して実家に電話したら何だか疲れた様子だった。親も老い、自分も一層おっさんになっていく。サムピックはどう使ったら良いのか分からない。味噌汁ともやしと豚肉炒めを作って食べた。
20代の同僚がある目標を目指してがんばってきたのだが、残念なことにその夢は破れた。それで昨日の夜、男3人でお好み焼きを食べに行った。酒を飲んだら女の子の話になり、お好み焼きもうまかったが、でも同僚はやっぱり元気がなかったように思う。振り返ると自分は自分でちょっと気分を変えようと誰かと食事でもしようと思っていたところだったし、もう一人も独り暮らしの一人飯をいつも持て余していて、励ますための集まりもただ食って飲んで喋って数時間を過ごしただけで、同僚にとって何か意味があったのかどうか、何とも言えない。
気付けばもう12月になり、朝も夜もとても寒い。約半年ぶりに髪を切ったら夜風が耳に冷たく、今までは髪が長かったのだとただそれだけを実感した。冬になると毎年新しいコートが欲しくなるが、いつも欲しいのが見つからず結局買いそびれる。そして春になるとコートは必要なくなるのだ。
昼過ぎに起きて、昨夜食べるつもりだったおかずを食べて外に出た。約ひと月振りの上野のスタジオで一時間だけ練習して、スタジオを出てコンビニで軍手を買い、地下鉄に乗って定期点検に出していた原付を受け取りに行った。フロントのライトを交換、バッテリーも充電してくれたということだった。防寒のためにレインコートを羽織り、軍手をつけて、二段階右折を繰り返して大通りを走った。夜の道はとても寒かった。
帰宅して荷物を置いてからスーパーに行って豚肉やトマトを買った。帰ったら蒸しパンを食べながらギターの練習をした。しばらくして晩飯を作り、ベランダに洗濯物を干した。
そんな暮らしをしているうちに11月も半ばになった。風邪は治ったが、まだ喉の奥が少し詰まっているような感じで時々咳込む。健康が一番だ。
不動産屋から何度も電話があった。そういう時は大抵、家賃の滞納だ。銀行振り込みは手数料がかかるため、半年分を振り込んでいて次の賃料を入金する時期になっていたのだ。直ぐにお詫びの連絡を入れて、入金した。残高がごっそり減った。
自転車のブレーキが壊れていたのをそのままにしていた。行きたいと思っていたが場所が分からなくなっていた店の所在地を調べて、自転車を持って行って修理を依頼した。お店はよく行くスーパーの直ぐ近くだったが、あまりにひっそりと営業しているので気付かないくらいだったのだ。店内には誰もおらず、奥の扉の方に進んで声をかけようとすると、おじいさんが一人出てきた。修理には時間がかかりそうだったから、スーパーに行って買い物をした。荷物を手にさげて店に戻ると修理は終わっていた。お礼を言うとおじいさんは「私は自転車に鍵をいくつも付けているよ」と言って、店の奥の無造作に積まれた段ボールからワイヤーロックを一本取りだして「サービス」と言ってくれた。初めての店で親切にしてもらえたのが嬉しかったが、今住んでいる町ではそうした心遣いを感じること自体ほとんどないのでなおさら嬉しかった。
スピングルムーヴという、広島を拠点としているスニーカーのメーカーがある。御徒町から秋葉原の間に位置する商業施設に店舗があり、ウェブサイトで商品を見て一足欲しくなったので仕事後に行ってみた。汗をかきかき店に着いて、もう閉店間際だから急いで見にゃならん、と思って目当てのものを探したが見つけられないでいると、店員の方がいろいろ紹介してくれた。履いてみると良い印象だったが、どうも欲しいのとは違うようなのでその旨伝えるといろいろ調べてくれて、自分も調査に手を貸すことになったが、結局商品の色の印象が自宅のPCのディスプレイで見たときと実物とで異なっていた、ということが分かった。残念だが実物は少し変わった色だったので購入はしなかった。店の方は器用ではなかったが誠実かつ朗らかな接客で、立派だと思った。このメーカーのスニーカーは既に2足持っているが、新しい靴を買うときはまたこのメーカーのものを選びたい。
9月から10月にかけてはこうしたことがあった。日々の大半は取るに足らないことばかりだ。雨がたくさん降って、蝉の鳴き声はだんだんとまばらになり、そうして夏は過ぎて秋になった。髪の毛も伸びた。
10月になってから、休日を本当に何もせずに過ごすことが多くなった。昼過ぎに起きて夜寝るまでの間にうたた寝することも多い。家で飯を作って食べることも急に減った。そのうちに風邪をひいた。休みの日の終わり、風呂上がりに薄着のままローラニーロを聴いた。ちょっと寒いと感じたが暑いような気もしたのでそのまま過ごした。別の日、あまりに部屋の中が寒いので長袖の部屋着を出して着替えた。先日の休日は風邪で何もする気にならず、一日中寝ていた。
今日は少し読書をして、夜9時過ぎにやっと近くのスーパーへ行き、食材を買って晩飯を作って食べてやっと人心地がついた。食べるということはとても大事なことだ。いろいろ気掛かりなことを手付かずのまま置いていると、いろいろなことが滞っていくものだ。先ずは飯を食べてよく寝ることだ。