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nikki

真夏の夜の激闘

 昼から出掛けて明るいうちに帰宅した。帰り道の電車で、晩飯を何にしようか考えていた。普段の晩飯は休日に作りだめして冷凍しているおかずだが、毎日それだけだと飽きるので、休日に時間がある時は作ることがある。たまたま検索してヒットしたキッコーマンのレシピサイトを見て、夏の野菜を使った肉野菜炒めが良さそうだと思い、スーパーでナスとピーマンと玉ねぎを買った。ほかに加えるトマトは家の冷蔵庫にある。最近は作る時のパターンが豚肉+もやし+ニラで固定化していたので、たまには他の野菜を試すのも良いものだ。いつもみたいに塩やコショウやら調味料をやたらとふりかけることはせず、かと言って控えめでもなかったが、自分一人で食べる分には何の不足もない食べられる味になった。
 翌日の月曜日は予定もないのに休みにしたので気楽なもので、食べ終わって食器を流しに下げた。洗い物は面倒なのでいつもだったらそのままにするが、明日も休みだからか何となく洗う気になり、台所に立って食器やフライパンをざっと洗い、最後に水で流すという段階が近付いたとき、目の前で何か動く気配を感じたのか、今となってはよく思い出せない。うちの台所はとても小さい。これまで四半世紀以上に渡り単身者向けマンションを渡り歩いてきた中で、部屋自体はゆとりがあるのだが、台所はこれまで暮らした部屋の中で最も狭い。左側のシンクはまな板1枚分くらい、右側に位置するIHコンロは1基のみ。引越してきたときはこんな狭い台所で料理が出来るだろうかと不安になったが、何とかするしかないと思ってそれから何とかしてきた。何か置くのに足りない時は背中側に置いている洗濯機のフチのスペースを活用している。コンロの真上に換気扇が付いていて、シンクの上には3段の小さい棚があり、こまごましたものをゴチャゴチャと置いている。一番下の段には箸とか味噌汁用のワカメパックのストックとか、塩・コショウを入れたお菓子の空容器を並べている。コショウはギャバンの空になったやつが4本並んでいて、最近新しいのを買った。目の前の、そのギャバン缶の上を黒いGが歩いている。その姿を認めて、夜10時近くだったが、僕は大きな声で「うわあ」と叫んだ。驚いた。目の前に、自分の目線の20㎝から30㎝くらいの直ぐ先にいるのだ。それも小さいやつじゃない。僕は心の底から、心のままに「うわあ」と叫んだ。それ以外に言葉が出なかった。そして、こいつは何とかせんといかん、この台所の状況だとどこかに潜り込まれると何とも出来ない、今この場で何とかしないと、と思った。台所の上にはいろいろなものがゴチャゴチャと置いてある。流しの下には扉の中に食器をたくさん置いている。そんな所に入られると厄介極まりない。Gは4本のギャバンの上から直ぐに移動しない。振り返り振り返りして決して姿を見失うことのないよう様子を注視しながら、洗いかけの食器を容れ物にまとめて、まな板やら色々を洗面台の方に移した。それから台所の上にある養命酒やらごま油やらいろいろをすべて風呂場の前に移した。移すと言っても1mくらいだけ離れたところだ。
 そうして台所の台の上からものを全て移動させた。それから、玄関の戸棚からゴキブリホイホイを取り出し、焦りながら二つ組み立てた。古新聞を1日分取り出したが薄かったためもう1日分追加し、重ねて丸めてガムテープで3か所を巻いて固定し、こん棒を作った。うちには殺虫剤はない。今から考えると噴射式の洗剤とかでも効果があったかも知れないが、ごちゃごちゃと物を置いているところに吹きかけることが出来ただろうか。とにかくうちにあるG退治の道具はそれくらいしかない。昔、丸めた新聞紙で退治したことはある。床の上なら直ぐに物理攻撃をするところだが、出現場所はシンクの上にぶら下がっている棚だからそうもいかない。
 棚の幅は30cmくらいだ。出現したのと反対側の右側からものを移動させた。とにかくものを置く場所がないので、棚の中にあったレトルトカレーとかランチョンマットとかをたまたま近くに置いてあった仕事用のカバンに突っ込んだ。もたもたしていられないのだ。そのうちにGはギャバンの筒と筒の間に体を隠した。その中から時々長い2本の触角だけが見え、さかんに動いていて止まることがない。フッと軽く息を吹きかけるだけで察知して、触覚が引っ込む。何てとこに入っとるんだ。取り敢えず、塩・コショウを入れたお菓子の容器以外は別の場所に移した。組み立てたホイホイを一つ、お菓子容器の右側に奥の壁に付ける形で設置した。もう一つはお菓子容器の左側に、側面の壁に付けるようにして手で押さえてみた。左側を抜けて上に行かれると、2段目と3段目にはものが未だたくさん置かれたままだから探すのが面倒なことになる。シンクの下に行かれるのも困るので、マスキングテープでシンク下の食器の棚の扉を全て目張りした。コンロの周りの汚れ防止パネルも隙間をすべてテープで貼った。棚から下に降りてきたら、その時は物理攻撃しかない。しかし出来ればホイホイで仕留めたい。左側のホイホイを手で押さえ続ける訳にはいかないので、これもテープで固定した。
 ギャバンは全て空だから、手ではなく割り箸で手前から1本ずつ取り出した。手前の2本を取り出すと、奥の2本の間に隠れているのが見えた。途中倒してしまったりしながら全てのギャバンを取り出して袋に入れた。やがて奴は姿を現して左側に固定したホイホイに入って行き、やったーと思ったが横から中を見ると何と粘着面には触れず、天井裏を伝ってうまく移動していた。何と言うことだ。そして、その内に棚の上の段(中段)に移動してしまった。仕方ないので下段と同様に右側から順にものを移動させ、隠れられるものが無いようにした。するとまた下段に戻って行った。粘着面を避けるとは、何と言うことだ。右側のホイホイの方には全く行く気配がなかった。このまま取り逃がして床の上にでも逃げられると、棚から避難させたたくさんのものがゴチャゴチャした中に隠れられて何とも手の打ちようがなくなる。今、ホイホイの天井裏に潜んでいる。意を決し、こん棒でホイホイの屋根側からホイホイごと3、4回強く叩いた。
 ホイホイから逃げ出したようには見えない。棚の下部は網になっており、顔を網の下に入れ込んでホイホイの中を奥から覗き込んだ。わずかに、1本の触角が飛び出しているのが見えたがそれは動かない。中でどうなっているのか分からないが、一応撃退出来たように思えた。別の場所から(そこも大して離れていない)ゴミ袋を持ってきて、慎重に壁からホイホイを取り外し、手前の出入り口以外はほとんどぺちゃんこになったホイホイをゴミ袋に突っ込み、他の燃えるゴミも入れてしばってマンションの外のゴミ捨て場の扉を開けて投げ込んだ。
 出ない、と思ったら出るのだ。今の住まいで暮らし始めて、出たことは初めてではない。しかしあんな至近距離で、しかも目の前で動くのを見たのは初めてだ(前に住んでいたところで、足の上を走られたことはある)。恐ろしい。しかし彼らにとって過ごしやすい環境を作ってしまっているのも悪い。台所の床を掃除し、台所の表面を次亜塩素酸で拭き掃除し、電子レンジの中も同じように拭き、流しもしっかりきれいにした。
 全部終わった後でネットで調べたところ、熱湯が効くと知った。そういう退治の仕方は若い頃にしたことがあるような気もする。しかし熱湯はいつだってあるものではなく、ものがたくさん置いてある所では使えない。普段から清潔にしておくしかないのだ。黒い物陰すら恐ろしく見える。

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